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暴れる俺の顔近くにしゃがみこんだ七季は変わらず坦々とした声で説明を再開させた。

「貴方が飲んだのは後遺症も無く済ませられる崔淫剤…いわゆる媚薬というものです」

「く…そっ…っう…」

上に乗っかっていた不良の一人が無遠慮にジャージの中に手を突っ込んでくる。シャツの上から感じる他人の温度と這わされる指先にぞわぞわとした悪寒のようなものが背筋を走る。

宮部よりもタチの悪い人間がいたとは。

俺は懸命に頭を働かせる。

「持続時間は短いですがその分効果の強い薬を選んだのでその内貴方の方から彼等を求めますよ」

「ン…ぅ…冗談じゃ…はっ…ねぇ…」

右腕に巻いてあった布と上に着ていたジャージを脱がされ、Tシャツ姿にされる。五月になるとはいえこの時期まだ肌寒いはずなのに身体は燃えるように熱く、Tシャツを捲られ直接肌に触れてきた不良の手にぴくりと身体が震えた。

「…ぅ…やめ…っ」

「おい、眼鏡外してみろよ」

「おぉ」

首を振り、抵抗を示せば無理矢理眼鏡を引き抜かれ耳に痛みが走る。
前髪を持ち上げられ、上に乗った不良と視線がぶつかった。

「うわっ、めちゃめちゃ可愛いじゃん。退学なんて勿体ねぇ」

そういいながらも不良の手は止まらない。
肌の上を滑っていた手が胸の飾りに触れ、指先で押し潰され弄られる。
じくじくとした妙なむず痒さが身体を襲い、声が零れる。

「…ぅン…ぁ…っく」

思考を巡らせようにも頭まで熱に犯されたようにぼぅっとしてくる。

このままじゃ…不味い。

思わず噛んだ唇から血が滲む。
そして不良の息が首筋にかかり、バッと離れた。

「―っ、何だよコレ!?」

「ぁ…っ…な…に?」

不良共が何に驚いたのか息を飲む気配がする。
Tシャツの襟ぐりを引っ張られ俺は何の事か見えないながらものろのろと目線を落とした。

「誰かの噛み痕か?」

「何コイツ、そういう相手いるのかよ」

噛み痕…?相手…?

ふと、ことのほか真剣な表情を浮かべたその顔が頭を過る。

“間違っても俺以外にマーキングされんじゃねぇぞ”

誰がっ…!

思い浮かんだその顔に咄嗟に心の中で悪態を吐いていた。

そうだ…。誰のせいでこんな目にっ…!

首筋についていた噛み痕に意識をとられていた不良からまずは強引に腕を取り返す。力の入らない腕に無理矢理力を入れて握った拳で上に乗っかっていた不良の横っ面を殴り飛ばす。

身を起こし、足を押さえつけていた奴等を手近に落ちていた絵の具やら筆やらを拾って投げつけ立ち上がり、最後に蹴りで沈めた。

「はーっ、はーっ…」

息が上がる。
動き回ったせいか余計に身体が火照り、布の擦れる感触でさえも妙な気を起こさせる。

「そんな…動けるんですか?」

驚いてもあまり表情の変わらない七季に俺は意地で笑ってみせる。

「あんなもん、俺には効かねぇよ」

それが限界だった。
俺は足元に落ちた布を拾い、ドアでは無く窓を開け高さを確認する。

「な、何してるんですか」

狼狽えてもちっとも表情の変わらない七季に俺は口端を吊り上げ、二階の窓枠に足をかけた。

早くこの場から離れたかった。

「じゃぁな」

そして、飛び降りる。
階段へ回るよりこちらが最短ルートなのだ。

部室棟の裏側はコンクリでは無く土で覆われており、衝撃も少なく着地すると漏れそうになる声を噛み殺して駆け出す。

俺はひとまず人のいない場所へ。

部室棟が建つのとは反対側へ進む。行く先には迷子になりそうな程無意味な庭園が広がり、庭園の中心には噴水が流れていた。

更に奥へ足を踏み入れれば温室もあるそうだが、温室へと続く道は立入禁止のロープが張られている。

「ここなら…」

火照る身体を引き摺り、俺は噴水の縁へと腰を落とした。その拍子に手から布が落ちる。

長時間同じ場所から動かなければ和真が駆け付けてくれるはず。

噴水が噴き上げる水飛沫を頬に心地好く感じながら、俺は火照った身体を抱き締め目を閉じた。

あぁ…眼鏡とジャージの上着回収してくんの忘れた…。

「…っ…はっ…はっ」

それにしてもやばい。持続時間は短いってどれぐらいなんだよ。

何もしていないのに反応する身体に熱い息が零れる。抱き締める腕に力を込め、まだ治まる気配を見せない身体に舌打ちした。

「…ン…っ、いつになったら治まるんだよ…」

上擦った声に苛立ちが増す。身の内に抑え込んだ熱に一瞬意識が遠退きそうになる。

「――くっ」

薬の効きが強いというのは本当らしい。俺は噴水の縁に座ってから足に力が入らず、もはや立てなくなっていた。

「和真…早く来いっ…」

身体だけでなく頬も火照り、不自然に呼吸が乱れていく。どくどくと脈打つ自分の鼓動がはっきりと感じられ、頬にあたる噴水の冷たさに誘われる。

「っく…ン…」

いつしか俺の身体は水面に向けてぐらりと傾いていた。

「…ぁ…ッ」

霞む意識の中で立入禁止の筈の温室の方から誰かが出てくるのが見え、ロープを越えて現れたその誰かと目が合った気がした。

「お前は……っおい!」

けれどその後、俺が感じたのはヒヤリとした水の冷たさと力強い誰かの腕の感触。

不覚にも俺はその場で意識を飛ばしてしまっていた。


◇◆◇


いきなり噴水に向かって倒れた身体を抱き起こす。
ぐったりとした身体は呼吸も荒く、頬も赤い。熱でもあるのか。

「おい!」

声をかけても瞼は堅く閉ざされたままで、俺は眉を寄せる。

「コイツ…眼鏡はどうしたんだ?それに…」

Tシャツに目を落とせば首筋に、明らかに人の歯形と思われる傷痕が付いていた。

「誰に…」

持ち上げた指先を歯形に滑らせる。

「…っ…ぁ…!」

「――っ」

すると、抱き起こした身体がびくりと震え、普段では有り得ない鼻にかかったような甘い声が生意気なその口から零れた。

「…この様子だと一服盛られでもしたか?」

助けて借りでも作ってやろうかと、意外と軽い身体を抱き上げる。だがその時、噴水の色が黒く濁っているのを目の端に止めた。

「なんだ…?」

「…ん…ぁ…」

訝しんで目をやれば水面から抱き起こした久弥の髪からもポタポタと黒い水滴が落ちていた。
一部だけ濡れたその髪に触れ、噴水の水を汚したものが久弥の髪から落ちた黒い染料だと気付く。

そして、色の落ちた部分から覗いた色は銀…。

さらりと指先から零れた髪は他でもない、銀色の髪だった。

隠されていた色に目を見開く。自然と…唇が弧を描き笑い声が零れた。

「くっ…ははっ!なるほどな…。どうりで見覚えがあると思ったわけだ」

まだ色の抜けていない黒髪に触れ、熱に浮かされ意識を落としたその顔を鋭く細めた瞳で見下ろす。

「こういうことだったか……似非優等生」

低く落とされた声音は愉快気で、どこか甘さを含んでさえいる。
意識を落としてなお、触れれば甘やかな声を漏らす唇にそっと口付け、地面に落ちていた鬼の証である布を拾い上げた。

「見つけたぜ」

「ン…」

拾い上げた布から小さなチップが零れ落ちる。

「お前は誰にも渡さねぇ」

バタバタと駆けてくる足音に俺は久弥を腕に抱き上げ庭園に背を向けた。

「何処だ、ヒサ!」

「久弥さん!」

立入禁止のロープを越え、背後で久弥を呼ぶ声を聞きながら。

「お前がヒサならこの無粋なものをつけたのは橘か?」

大人しく腕の中に収まったヒサへと視線を落とし、首筋に残る歯形に苛立ちを覚えた。

「ふん…まぁ、いい。こんなものすぐに消してやる」

温室の中に設置されているベンチに一度久弥を下ろし、携帯を取り出し幹久へと連絡を入れる。

「俺だ。急用が出来た。新歓、後はお前に任せる」

『え?ちょっと何ですかいきなり?遊士…っ!』

自分の用件だけ伝えると携帯電話の電源を落とし、ポケットにしまう。
それから再び久弥を抱き上げ、人に見つからぬよう新歓中は立入禁止となっている寮へと足を進めた。



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